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■中川昇が初めて買った4cm屈折式経緯台(右)と2台目の望遠鏡11.5㎝反射式赤道儀(左)撮影:中川昇(1975年当時中学2年生)
実は今回のネタは、本ブログで最も書きたかったネタのひとつです。私の父が亡くなったのは2018年1月。その後、しばらくしてから実家の大整理が始まりました。その整理の成果のひとつが今日ご紹介する望遠鏡の写真の発掘です。大きな反射望遠鏡の右側におまけのように写っている小さな屈折望遠鏡。これが私の人生初の望遠鏡です。たぶん本邦初公開です。火星大接近で沸く1971年、9歳、小学校4年生の頃。今はなき船橋西武百貨店の文房具売り場で9,800円也。親にせがんでせがんで買ってもらいました。売り場の棚の上に置かれたこの望遠鏡を見上げた時、私の運命は決まったのです。

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BORG初代のピラー脚仕様
その後、1974年の冬に2台目の望遠鏡(反射)を買ってもらってから、この4cm屈折望遠鏡(メーカー名不明)のことはすっかり忘れていました。たぶんゴミとして捨ててしまったのだと思います。久々に思い出したのは1991年。購入から20年後のことでした。BORGに入った私は、宮崎さんの設計した望遠鏡を見て「あっ」と声をあげました。それはBORG初の望遠鏡セット、プラスチック鏡筒を載せた、脚がピラー式の望遠鏡です。あの4cm屈折にデザインよく似ているじゃあないですか!もちろん、BORGは宮崎さんのオリジナルデザイン(しかも望遠鏡では珍しいグッドデザイン賞受賞)ですが、不思議な運命を感じたものです。

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■ダウエル製115mm反射式赤道儀 DN5 撮影:中川昇(1975年当時中学2年生)
この写真ですが、現像は自分でしました。ネオパンSSSでパンドール22℃16分です。天体写真の余りで撮影したので粒子が荒れています。プリントはまだカメラ屋さんです。上で紹介したカラー写真よりも望遠鏡のアクセサリーがかなり進化しています。アイピースの周りにあるのが、光除けの紙です。これは自作ですが、街灯除けにかなり効果がありました。サブスコープは憧れだけで買いました。サブスコープ脚が欲しかっただけ、アクセサリーバンドが欲しかっただけ、という噂もあります。

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■ダウエル製115mm反射式赤道儀 DN5 撮影:中川昇(1975年当時中学2年生)
この反射望遠鏡の購入(1974年当時33,000円)は嬉しくて嬉しくて「天文ガイド1975年?月号」の「私の愛機」のコーナーに投稿したら掲載されました。カッコつけて、子午線をまたぐようにセットして後ろからサブスコープも目立つように工夫して撮りました。そうしたら、当時は雑誌に普通に住所が掲載されていましたから、たくさんの手紙やハガキが届きました。天文ファンって意外と近くにいるなと驚きました。中には遠方の方から文通しませんか?という手紙も届いたほどです。返事をしたか?の記憶はありません。

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■ダウエル製115mm反射式赤道儀 DN5 撮影:中川昇(1975年当時中学2年生)
この反射望遠鏡の購入の経緯ですが、一部はアストロアーツの連載記事にも書きましたので、ここではその連載に書けなかったことを中心に書きます。まずダウエルのことです。ダウエルはブランド名で、会社名は(株)成東商会です。最初電話した時に「なるとう商会ですか?」と聞いたら「せいとう商会です。」と帰ってきました。最初はミザール製のH-100型が欲しかったのですが、ついつい口径が大きく値段の安いダウエルを買ってしまいました。ダウエルは後に裏御三家と呼ばれる位置づけのブランドだと知りましたが、買ったことを正当化するために「自分なりに工夫して改良を加えるには最高の望遠鏡さ」と言い聞かせて長く使用しました。まず、ミラーが不良で交換してもらいましたが、内気な中川少年は自分では言えず、父親に付き添ってもらい父からクレームを言ってもらい有島武郎似の社長さん?に無事交換してもらったのです。親父がとても頼もしく見えたものです。

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■ダウエル製115mm反射式赤道儀 DN5の接眼部と買い足したアイピース群 撮影:中川昇
その交換してもらったミラーも不良で、仕方ないので高校に入ってから協栄産業大阪店さんからNTKの主鏡と斜鏡とミザールのAR-1赤道儀などを相次いで購入して交換しました。その時点でほぼ原形をとどめていませんが、やはり思い入れのある鏡筒は手放せなかったのです。さらに今度はアイピース沼にはまります。弟と喧嘩すると「アイピース」と言いながら、兄の私を脅すのです。どういう意味かというと「言うことを聞かないとお前の大事なアイピースを触るぞ」という意味です。これは当時の中川少年にとっては一番の脅し文句でした。それにしてもよくこれだけ親が買ってくれたものです。当時は当たり前だと思っていましたが、親への感謝を今頃していることになります。生前に気付くべきでした。

P.S. 今後の懐かし望遠鏡シリーズの展開ですが、本ブログのネタ切れの頃を見計らって不定期に更新予定です。今、予定しているのはファミスコの事、そしてアトム横浜店の振り返りです。このお店はいろんな意味で画期的な望遠鏡専門店でした。

P.S.2 実家の大整理で私の撮影したアトム横浜店内の写真が大量に見つかりましたので、少しずつ掲載しながら、日本の望遠鏡専門店の歴史も振り返りたいと思います。その一部は過去のアストロアーツの連載記事にも掲載していますが、その他にも例えばアトム横浜店主催の天体望遠鏡ショーの写真も発掘されましたので、私しか書けない内容と思いますのでご期待ください。結構貴重なカットもありますよ。 

P.S.3 振り返ると今の天体望遠鏡市場は恵まれています。私が子供の頃には望遠鏡専門店は全国で協栄産業大阪店さん1軒しかありませんでした。なのでとてもお世話になりました。望遠鏡の価格も今の何倍もしました。そう気軽には買えませんでした。性能も今と比べると粗悪品が多く、特に入門機に良いものが少なかったのです。しかし、今や弊社のショールームを始めとして、機種も価格も性能も選びたい放題です。あとはいかにその魅力を発信し続けるかにかかっているかと思います。そういう視点からも情報発信を続けたいと考えています。